こんにちは!マンガルーです!
今回ご紹介するのは、マンガルーで取扱中の「耳をすませば」。ジブリ映画の原作マンガになります。
ジブリ映画は国民の大半が金曜ロードショーでご覧になったことがあると思いますが、原作はほとんどの方が読んだことないと思います。
ということで今回は、耳をすませばの原作とジブリ映画の比較、同じ所と違う所を並べるやつをやります!
ただのマンガレビューだとページビューが稼げないので、ジブリ映画を絡めることでページビューを稼ぐことが目的です!
では行きます!まずは同じ所から。
原作とジブリアニメ 同じ所
・主要人物の名前、年齢、髪形
名前年齢は当然かもですが、絵柄はともかく髪形や背格好もだいたい同じです。
雫は名前に恋したといっても過言ではないので、物語的にも天沢聖司の名前は相当重要。
それにしても、月島雫も天沢聖司もとてつもなくいい名前ですね。声に出して読みたい日本語。
・図書カードでの出会い
これこそ耳をすませばの核ですよね。ものすごい良いのに、状況が特殊なためあまり他の作品で使われていないためオリジナリティがすごい。
あと、「図書カード」というアイテムで、物語全体に一気に登場人物の奥行きが生まれています。本読んでる人はいろいろ考えてそうだし。(直前の文章アタマ悪そう)
・対面出会いの第一印象は「ヤなヤツ!」
原作ジャンルは少女マンガですので、テンプレですね。
ただ、図書カード◯→対面☓→恋愛◎という構造で、ただの「第一印象悪かったけど恋に落ちた」とは一線を画しているのがすごいところです。
・告ってきてふられる同級生(噛ませ犬 杉村)
後から書きますが、消えてる登場人物もいる中でこいつは残留しました。
物語的に、雫に恋愛を意識させる存在として重要という判断でしょう。
あと、神社でコクって振られるシチュエーションはなんか良いからでしょう。
あと、スポーツマンが振られるのは痛快だからでしょう。(この作品は文系男女讃歌でもあります。)
・ジジイ
聖司の祖父であること、雑貨屋、バロンの置物など、だいたいそのまま。
・小説を書く雫
これも物語に強さを与える大事な要素ですね。ただの本読み同士の恋愛ではなく、ジジイや聖司との出会いが雫の人生に影響を与えていくさまは、物語に切実さを与えています。
原作にも雑貨屋の猫の置物(バロン)は出てきて、同じく物語の材料として料理されています。
・明け方チャリで二人乗り
ラストシーン!これは変えちゃいかんですよね。約束したり呼び合ったわけでもないのに家の前で会えるやつ。
同じ本を偶然借りてた二人だからこそなし得た小さな奇跡。こじつけられた奇跡は「そんなことないでしょー」ってなりますが、丁寧に積み上げられた物語では、グッとくるだけの強いやつになります。「聖司ストーカー説」はユーモアとして最高だけど、ガチで信じてる人は流石にキテると思います。
と、案外長くなってしまいました。
だいたい一緒じゃん!と思いましたか??でも、案外でかいところ変えてるんですよ!
違うところ!行きます!でかいところから。
原作とジブリアニメ 違い
・カントリーロードもコンクリートロードも出てこない
曲はまだしも、聖司との対面の際、「翻訳した歌詞を馬鹿にされる」という要素が原作にはありません。教室に忘れた雫が図書館で借りてる童話を、聖司がちょっと馬鹿にするだけ。
原作よりジブリのほうがより「ヤなヤツ!」なので、ギャップが強くなって物語が強くなります。
読んでた本より、自分が書いたもの(翻訳)を馬鹿にされるほうがムカつくと思うので。
また、アニメでは、雫は聖司たちと出会う前から何かを書こうとしているので、アニメの雫のほうが早熟というか、聖司かかわらず物書きになっていたかもしれないと思わされます。
アニメの雫のほうが多分意思が強い。
・雫の小説を書く動機、描写
アニメでは聖司のバイオリンに向かう思いに打たれて自分で書くことを決め、勉強をおろそかにし、家族を心配させたり、悪夢を見たり、ジジイに読ませていい言葉もらって泣いたりうどん食べたりしています。
原作では、聖司に「書いてみれば?」と言われて書いてみるという、ライトなかんじです。
聖司に言われたのか、自分で思いついたのかも、動機として大きな違いです。やはりアニメの雫のほうが強いというか、闘ってる印象があります。
また、書いている途中の雫も原作では歌うように軽やかです。
軽やかに書く雫
ただ悩みなく書いてるというより、原作では雫は共感覚の持ち主のように見えます。苦しんで生むというより、見たものとや聞いたものを自然に物語にしてしまう能力がある、という印象です。
プロフェッショナルで見たけど、宮崎駿は物語つくりながらうんうんうなって苦しそうだったので、そんな自分を雫に投影したのかもしれません。
・聖司はバイオリン職人ではなく画家を目指している
原作では、聖司は画家を目指しています。
マンガとしては、小説家を目指す雫、画家を目指す聖司でもよかったのですが、映像になるとバイオリンにより音楽がついてくるので、いろいろリッチになって良いですね。
・よってジジイ演奏シーンもない
バイオリンもカントリーロードもないんで、そりゃそうですよね。
二人の接近をセリフなしで伝える、高度なシーン。
映画の他2人のジジイ、演奏のためだけに存在させてるのすごいですね。あそこだけディズニーっぽい。
関係ないけど、ジジイが演奏してるチェロっぽいけど弦が多い楽器、あれなんですかね?知ってる人いたら教えて下さい。
・聖司の兄の存在と、雫の姉x聖司兄の恋愛
原作では、聖司に航司という兄がいました。アニメにはいません。
航司は雫の姉と恋愛しますが、その部分は削られています。
これも恋愛主体の原作と、雫の表現をテーマを持つアニメの違いかもしれません。
原作でも聖司との出会いを少し繋ぐくらいで雫と聖司の関係にとってはそこまで重要ではありません。
・聖司は留学とかしない
アニメではバイオリンのためにイタリア留学が決まってますが、原作では留学とか言わないので、普通にハッピーエンドなかんじです。少女マンガですし、後味はすっきり。
映画では二人がいずれ離れる要素により切実さが増しています。
・原作では「好きだ」アニメは「結婚してくれ」
これは留学という二人が離れる要素があるからこそ、アニメでは「好き」ではだめだったんでしょうね。わかりすぎる。
まとめ
物を作ろうとしてる二人が図書カードで出会って恋愛していく、というのは変わらないのですが、映画のほうでは、絵画をヴァイオリンに置き換えたことで生まれる音楽の要素や、雫が表現に向かう姿勢や苦しさ、留学による別れを描くことで、原作をより豊かで切実な物語にしていると感じました。
原作もライトでかわいくて素敵です。雫の表情も豊かです。消された聖司兄も見てあげてください。なにより、「図書カード恋愛」を生み出した一点をとっても、天才の所業といえます。ぜひ読んでみてください!
柊あおいさんは、ジブリ映画「猫の恩返し」の原作者でもあります。原作名は『バロン 猫の男爵』。こちらは、雫が描いた物語、という位置づけだそうです。ワクワク感がすごいです。こちらも是非!
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